大学二年生の秋のはじまりに、それまでつき合っていた地元の恋人にふられたことが頭をよぎった。
「つき合っているひとに、さよならをつげられる」っていうはじめての経験に、わりと盛大に悲しんだ。
「わたしがだめなんだなー、変わらないと」
簡単に変えられるところってなんだろうって思ったら外見だったので、学校のジムでひたすら走ったり(食が細くなったのもあわせて、1か月半で5kgくらい痩せた)いつもよりきれいにお化粧したり身なりを整えたり。
そういえば、ピアスもこの時期にあけたんだったな。
とにかく、変わりたくて変えたかった。
でも、なかなか心がついていかなかった。
あれほど、こころとからだが直通しているときはなかったなぁと思うし、元気出そうとしても無理やり元気にはなれないんだなぁということに途中で気づき、ああ、悲しむときは悲しもうと方向転換した。
それまで大学の同じ学科に"気心のしれた友達"がいなかったわたし、この失恋でお友達に話をきいてもらったり、泣いたり、ただただ一緒にいてもらったりした。
学科に心を許せる友達がいないのは、単に合わないだけだとそれまで思っていたけど、その時にああ、それは違うなーって気付いた。
わたしがこころを許していないから、じぶんを見せてないから、相手もきっとそうなんだなって。
この失恋事件(?)を通して、いろんな友達と腹割れるようになった(ような)気が、勝手にしてるんですよ。
skypeチャットをしていた後輩もそのひとりで、わたしがめそめそ泣きついて、なぜか彼女も泣いてて、彼女の家のソファで寝落ちした記憶がある....。いやもうほんとすみません.......(思い出して苦しくなってきた)
いじっぱりで見栄っ張りなわたしだけど、できるだけ素直にじぶんを伝えるようにすこしだけ意識しようと後輩とSkypeしているうちに思い出したんだ。
あと、恋人と別れたのはどっちが悪いってところじゃなくて、そもそもお互いに"こういう人といっしょにいたい"っていうのが一致してなかったんところに原因があったなって、あの時は冷静に判断できなかったけれど、今では思います。
さよならをいってくれて感謝です、ほんとに(あのときはまさかこんな風に思うとはかんがえてなかったなー。)