おじいちゃんと原体験

f:id:attsumi:20161113141541j:plain おじいちゃんが亡くなった。84歳だった。

いろいろ思うことはあるけれど、ある原体験の話を残しておきたい。

20年くらい前、私のおばあちゃん - おじいちゃんにとっての妻が亡くなった時、おじいちゃんは喪主の挨拶を笑顔で執り行った。 火葬の最中、親戚とかが集まって行う軽食の時もお酒を飲んで、周りの人たちとワイワイと楽しそうに騒いでいた。 当時、10歳くらいだった私は「おじいちゃんはおばあちゃんが死んで嬉しいのかな?看病が大変だったから良かったと思ったのかな?」と嫌な気持ちになった。

けれど、葬式が終った翌日から、毎日、仏壇のおばあちゃんに向かって手を合わせるおじいちゃんを見て、考えが変わった。喪主の挨拶を笑顔で対応したのも、飲んでワイワイ騒いでいたのも、急なことにも来てくださった人たちへのおもてなしだったのでしょう。あぐらを組んで、仏壇に向かうおじいちゃんの後ろ姿は忘れられない。この一連の出来事が「態度の真意を自分の想像で決めつけてはいけない」ということの原体験となった。

おじいちゃん自身がしたこと( = 葬祭の席で笑顔でいること)は、きっとして欲しいことだろうと思って、通夜でも葬式でもニコニコしていようと思った。だけど、すんすんと泣いてしまった。おじいちゃんごめん><遺影、孫の結婚式で酒飲んで顔が赤い写真で、まじでクールだったけれど、涙を誘うじゃない。

月並みだけれど、その人がいなくなってもその人が与えた影響や思い出というものは無くならないわけで、色々と与えてくれたおじいちゃんには感謝だなーと思う次第です。おじいちゃんが面倒を見ていた植物をいくつかもらってきたので、いい感じに育てていきたい。