さみしさの解剖

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よく「さみしくないの?」と聞かれる。

会社の人に「休みの日、急にもんじゃ焼が食べたくなってひとりで月島に食べに行った」って話したら「ヤバいね」と笑われた。「ん?」と思って「ひとりで食べているともんじゃを食べる速度が焼けるのに追いつかないもんだから、店員さんが何度も火の調整をしに来た。ひとりで行くのには向いてないですよね」と言うと「そういうことじゃない。もんじゃをひとりで食べるの、さみしくないの?」って。ひとりで食べるのに向いているかどうかの話じゃなくて感情の話だった。別の日には会社帰りにガーデンプレイスのイルミネーションを見に行ったりもした。その話をしたときも「周りがカップルだらけの中、自分だけひとりってさみしくないの?」と。

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これらの「さみしくないの?」の背景には
「二人以上で行くのがセオリーな場所にひとりで行くことにさみしさはないんですか」
「自分を見る、周りの目が気にならないんですか」
「そういう場所にひとりで行くのは孤独だと思いませんか」
この3つがありそう。

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最初の2つはノーとは言い切れないな〜とは思うのだけれど、最後のだけは「思わない」って断定できる。私だって、もんじゃを食べたおいしさを誰か共有したいし、綺麗なイルミネーションを見て綺麗だねとも言いたい。それができないのはさみしくもある。けれど、自分が行きたいところにはひとりでも行くし、観たいものは観る。やりたいことはやる。やりたいことをひとりでするのに少しさみしさを感じることはあっても、孤独なことではないかな。孤独だと思わなければいい、さみしさとはうまく付き合えたらいい。